私が乳がんだと知らされてからの日々を残していきたいと思います。
乳がんのことしか頭になかった頃、メモしたものをそのままここに載せていきます。
治療方針決めました!
早期発見なのに何故?
やはり わたしの中で納得いかない。
まぁ極端に 痛いのがいや! 副作用がこわい!って気持ちが強いだけ。
それが全てなんだけれど〜〜😨
どうしても 放射線治療をしなければいけないのだろうか?
部分切除した人全員が 放射線治療とホルモン剤治療をセットで行うのだろうか?
疑問が疑問をよんで 本の知識を得たり
ブログでの皆さんの意見を見たり…
1ヶ月後には決定しなければならない中で、少し焦りながら 毎日を過ごしました。
本当に世の中には 真逆の情報が沢山あって
何が本当なのか? が分からずに余計に混乱する毎日でした。
でも 答えは1つではないと言うことに
やっぱりねって感じです。
それならば 自分で決めたっていいんだよね
と言う結論に達したのです。
決めた❣️
わたしは 確率にとらわれずに
乳がん宣告 受ける以前のように
普通に生きよう。
出来る事なら 乳がんになったと言う現実も忘れて過ごしたい。
まあ 昔っから 能天気な性格なので
ここに来て 乳がん宣告受けても 変わりなく本格的な能天気ぶりを発揮することになりました。
けど
家族にどうやって分かってもらおう?
今度はそのことを考えました!
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ところで
わたしは父を 33歳の時に亡くしています。
肺癌ステージ4で 余命2週間でした。
本人に 癌である告知はしない時代で
父は肺炎だと思っていました。
そんな父に 抗がん剤治療が行われていたのです。
とても苦しい入院生活だったと思います!
そして 2ヶ月後に息を引き取ったのです。
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そんな経験があるからこそ
わたしの治療方針は自分で決めたいと
何処かで思っていたのでしょう!
日頃から わたしが大病を患い 意識も無くなっている状態になったら どうか延命治療はしないでね。って笑いながら
でも本気で話していました。
わたしの遺言です( •̀д•́)
少し違うといえば違うけれど、
治療方針は自分で決めたいと心から伝えれば、きっと皆分かってくれるはず。
そう信じて 家族に自分の気持ちを話しました。
1ヶ月後に放射線治療の担当の先生と話す事になる。
それまでには自分の決意を固めなくてはいけないのです。
当時、かなり切羽詰まりながら考えつづけました。
何も決意しなければ放射線治療は始まってしまう。
本当にそれでいいの?
自問自答が続きました。
絶対に嫌だ‼
そう心底思ったから、わたしの決意は揺るがないものとなりました。